『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は作られるべくして作られていると思った

やっとDVDで『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を見ました。
非常に思い入れのある作品ではありますが、昨夏の劇場公開時には「別に今さらまた映画化しなくてもいいのになぁ」という思いがあって、結局見ずじまいでしたが、ついDVDのしかも特装版を買ってしまいました。

今回の劇場第一弾『序』に相当するエピソードを見るのは、たぶん4年振りくらいです。初回本放送時から数えると何回目かはもはやわかりませんが、4年ぐらい前に全話通しで見た記憶があります。毎回見る度に今回の映画に相当する部分、特に対サキエル戦と「ヤシマ作戦」の対ラミエル戦はいつ見てもドキドキできてしまいます。話の組み立て方の上手さと演出のドラマティックさは、何回見ても飽きません*1
新劇場版になって今まで以上に映像がディファインされてたり、微妙に新構図や新演出が追加されてたりして、個人的にはその辺はプラスに作用してるかなと感じています。一部では画質に対する不満もありますが、ある種本放送時の味わいを出すためと捉えれば別にいいんじゃないかなとも思います。

全ては庵野監督の所信表明に現れてると思うんですが、「12年前のアニメを今作り直す」こと自体に意義があるのだと感じました。「エヴァ以降」と言われる時代のアニメの発展と閉塞感に対する庵野監督流の答え、あるいはアンチテーゼとして、「12年前のアニメ」を原作として新作アニメを作ったとでも言えばいいんでしょうか。庵野監督はこの十数年のアニメの歴史を95年からやり直したいんじゃないかという気さえします。
おそらく監督と同年代でかつての同志である岡田斗司夫が感じた悲壮感に近いものもあるのかと思います*2。「エヴァ以降」の時期に庵野監督が実写映画に傾倒している隙にアニメ界に生じた変化だったり、ここ数年で「エヴァの商品化」が極度に再燃・加速してしまったというのは周知の事実です。それらに対して監督なりに思うところがあって「エヴァを再構築しなければならない」という危機感にも似た何かがあったのではないかという想像は何となくできてしまいます。だからこそ庵野監督自身の手によって、『エヴァ』が再構築される必要があったのではないかと感じました。

それに対する答えが今回の『新劇場版:序』で出ているのかというとたぶん否で、あくまで『序』であり、ネタ振りをしたに過ぎないのかなとも思います。すでに旧作との差異や考察は進んでいるように思いますし、本放送当時似たようなことをしていたのでそれはそれで楽しいんですが、作品の本質や歴史的意義に考えを巡らせると、設定や表現の差異っていうのは些細なことじゃないかとも感じました。
『新劇場版』が完結するのはだいぶ先になりそうですが、そういう『エヴァ』自体の話の本筋とは別の深い意味を持った作品になるでしょう。あるいは現在すでに明らかになっている旧作との差異は、今後話の抜本をも覆すような意味を持ってまさに「再構築」となるような気さえします。エピソードや構図や演出のディテールはともかくとして、本質部分だけを残して監督自らが手をかけることによってこそ「再構築」という言葉がしっくりくるのではないでしょうか。この十数年間で散々語り尽くされた『エヴァ』の議論に対して、監督自ら答え、あるいは新たな方向性を提示するという、そんな劇場版シリーズになりそうです。*3

*1:当時この第六話までで綾波派に転んだのも良い思い出

*2:ちなみに岡田さんの「オタクはすでに死んでいる」は未読。ただ最近の氏の論調は大筋で理解できる部分はあるものの、素直に同意はしかねる感じ。

*3:蛇足ながらあえて書いておくと、そういう楽しみ方をするにはやや一見には厳しいかなという気もします。旧作をリアルタイムでも後追いでもどっぷり見てないと、楽しみどころがちょっとわかりにくいかも。今の若いアニメオタクならそれなりに楽しめるだろうけど、そうではないパチスロ辺りから入ってるようなライト層には少し難解過ぎないかなぁと。まあ難解なのは『エヴァ』の醍醐味ではあるけど