アニメは誰のものか

はてなの京都移転に対する各所の反応が「会社は誰の物か」論に発展していて面白かったんですよ。狭義では株主のものであるし、広義では利害関係者(従業員や取引先はもちろん、会社の規模や状況によって変わってくるけど社会)のものっていうのはある程度通説としても通ってる気がするんだけど、はてなに関しては特に後者の「広義」な部分での従業員の利害やユーザーの思惑のズレが今回の議論を呼んでるのかなと思いました。
本店移転って株主総会の特別決議事項だった気がするけど、はてなは上場企業じゃないし、ましてや新会社法上でいう非公開企業のような気がするので、この辺りの機動力とか柔軟性はあるのかな。


この話にインスパイアされて、「アニメは誰のものか」について考えてみました。この問題に関する考え自体は特にここ1年くらいでいろんな理由をつけてアニメが放送休止や打ち切りになる度に思ってはいたんですけどね。

で、狭義では金を出してる人間・組織のものか、あるいは制作会社のものなんだろうけど、最近は特に制作委員会方式が当たり前になったりしてその辺りのスキームが複雑になっているので、権利関係がややこしくなっているけど*1、たぶん法的に誰のものかというとこれが回答になるのではないかと思います。
ただ、実際に何かを感じて放送を取りやめる決断を下すのは得てして放送局で、この投資・制作スキームの中には深く入り込んでいないことも多々あります。ここ1年くらいで放送休止やそれに近かったりそれ以上の対応があったアニメは、独立U局系のものがほとんどだと思うので、アニメの制作そのものには直接的には関わっていないのかなと思われます、たぶん出資とかそれに近い形で金を出していることはほとんどないかなと。とはいえ実際に放送するのは放送局なので、制作委員会側と放送局の間で何らかの放送しない場合の特記事項とかがあるのではないかと想像されます。
この辺りの条件とかっていうのが視聴者にとって不明瞭であるために、いらない混乱や憶測を呼んでいるような気がしないでもないですが、表現の問題で休止や修正が発生した場合は、こういった点をもう少し情報公開しても良いんじゃないかと思います*2*3*4

「アニメは誰のものか」論に話を戻しますが、広義ではファンや視聴者のものとは言えてしまいます。見る人があってのアニメだというのに疑いようはないです。ただ放送休止をした時の放送局の言い訳って、もっと広い解釈をして「電波・放送は公共・社会のものだ」っていう大義名分の元にあるとも感じられます。

実際の事例を見ていくと、『School Days』の最終話っていうのはわかりやすくて、AT-Xで見たファンからも「地上波で放送しなくて正解だった」という感想が寄せられるほどだったわけです。地上波はダメでCSだとOKという判断基準について議論はありますが、視聴者が比較的限られるという点で棲み分けができているという判断なんでしょう。
こどものじかん』は局によって判断が分かれましたが、この事件は局による判断基準の違いが出たということ自体が注目すべきでしょうか。『ひぐらしのなく頃に・解』の後半が打ち切りになった事件もそうです。『シゴフミ』の3話が修正されたり6話が休止になったりというのも同様でしょうか。いずれの場合も局による判断基準の違いがあることが明らかになっています。
いずれの場合も関係者のコメントだったりファンの好意的な感想を見ると、「作品のテーマとしては、打ち切られる理由と別の所にある」というような意味の発言や書き込みが見受けられますが、実際には残虐だったり猥褻だったりという表現の一側面に対してこれらの措置が執られています。打ち切りや修正がなされる場合に、放送局の判断基準はそれしかないとも考えられますが、裏を返せば作品の制作意図や本意までを探って判断をするほど暇ではないということでしょうか。結果として制作者の意図やファンの期待を裏切ることになったとしても、「テレビの公共性」という建前との間でこれらの決定がなされているように思います。
そういう意味では、「アニメの放送」っていうのは実は「ファン不在」で行われているんじゃないかなという気さえしてしまいます。実際にはファンの存在を意識している制作者もいるし、全く見向きもしていない関係者もいて、その中で誰がどんな権利を持ってて、巡り巡って「ファン不在」な方向に進んでいくっていうこともあるという感じでしょうか。それぞれのシチュエーションで下された「放送休止」という判断が正しいのかどうか、例えば『School Days』の最終話が地上波で放送されたり、『こどものじかん』が無修正放送されたら何が起こったかなんて、もはや誰にもわかりません。

もちろん全てのファン心理・要求を取り込むことは不可能ですが、こういうイレギュラーな対処が行われた場合には、もうちょっと詳細な情報公開があってもいいのかなと思いました。別に「昨今の社会情勢を鑑み」と言われてもだいたいの想像はできますが、もうちょっと楽しみにしてるファンが納得できるコメントを出してもいいんじゃないかなとも感じます。

結局の所、「アニメは誰のものか」を考えた時に、ファンのものだと即答断言することは難しいですが、全ての利害関係者が幸せになれる方策を模索する努力があってもいいんじゃないかなと。簡単に放送局が「放送休止」という伝家の宝刀を抜いてしまうと、制作者でもファンでも納得できない場合があったりして、誰かが不幸せになることがあるような気がしてなりません。

*1:いや、厳密にはややこしくなくて、視聴者側からわかりにくいだけか

*2:JDC信託とかでファンド買ったり、懐かしのときメモファンドみたいなのを買うと、間接的に制作委員会に入り込めてるってことで知れたりするのかな

*3:バンブーブレード制作費流出事件」は興味深かったけど、こういう出資・権利関連のスキームも流出したら面白かった

*4:「原田ウィルス事件」の時に告訴した著作権者って誰なんだろう