『ときめきメモリアル Only Love』が何故面白いか

友人と『ときめきメモリアル Only Love』が面白いということで意見が一致したので、シリーズ途中ながらレビューを試みたいと思います。

前にも少し書いたけど、これが面白いと思えるのってある種の懐古趣味なんじゃないかという気はしています。開始当初、昨今のギャルゲー原作の萌えアニメに迎合してしまうんじゃないかという不安があったにも関わらず、10年以上前にゲームやラジオドラマの『ときメモ』で感じた雰囲気を多分に残した作品だったというのが意外であり、だからこそ面白いと感じています。裏を返せば「昨今のギャルゲー原作萌えアニメ」に食傷気味だったり、ついて行けないという思いがあったり、あるいは大作主義化が進み過ぎたことに対する反感があるのかもしれません。

「萌え」を意識しないキャラ作り

例えばいわゆる「萌えアニメ」が生まれるようになった背景には、「萌え」という概念そのものに対する研究だったり単なるケーススタディなのかもしれないけどある種の類型化が進んだという事実があり、特にここ5年とか3年くらいで顕著な傾向かと思います。「10人いれば10種類の萌えがある」とは言いますが、実際問題、「萌え」っていうのはパターン化だったり類型化だったりそれによるキャラクターの記号化が大きな意味を持ちます。
歴史を遡れば初代『ときメモ』にだって「萌えによる類型化」は可能ですし、『Only Love』だって可能です。じゃあ『Only Love』の場合何が違うのかというと「今どきの概念で類型化された『萌え』」というより、「初代『ときメモ』に倣ったキャラクター作り」が優先されているように感じられるというのが大きな違いではないかと思います。それはおそらく結果論で、昨今の「『萌え』を知ってるキャラ作りのアプローチ」ではなくて、純粋に作品に対するリスペクトとして「『ときメモ』らしいキャラ作り」を指向した結果が天宮小百合であり春日つかさなのではないかと思います。

非大作主義、積み重ねられる日常

加えてもう一点。これはそもそもの『ときメモ』らしさに通じる部分なのかもしれませんが、安易に大作主義的だったり非日常的な作品を目指してないというところがあります。「今どきのギャルゲー」と定義してしまうことは難しいかもしれませんが、妙に大作主義化が進んでしまったり、非日常的なシチュエーションがあって当たり前みたいな風潮は少なからずあるように感じます。
ギャルゲー・エロゲーの歴史を簡単に振り返ると、90年代半ばまでに『同級生』だったり『ときメモ』なんか築いたスタイルがありましたが、90年代後半の『雫』『痕』『To Heart』のリーフビジュアルノベルシリーズがあり、さらに『Kanon』『A I R』などが続いたこともあり「ギャルゲー=ノベルゲーム」という図式は確固たるものになりました。その歴史の流れの中で「ストーリー重視・大作主義化」の流れが優位になり、同時にゲーム性の有無はあまり問われないようになりつつあります。その流れの極北に位置するのは『ひぐらしのなく頃に』なのかもしれません。
さて、アニメの方に話を戻すと、近年エロゲー原作のアニメが増えましたが、原作であるエロゲーそのものが壮大なストーリーを持っているが故にアニメの方も「主人公とヒロインの恋愛」ということに限らず、それ以外に大きなバックグラウンドを持っている例が少なくありません。あるいは「セカイ系ブーム」とも関連するかもしれません。同時にエロゲー原作以外の恋愛モノ作品にも多かれ少なかれこれらの傾向はあるように感じます。

アニメの『ときめきメモリアル Only Love』を見てみると、せいぜい「ちょっとだけ非日常」が混じっているかもしれませんがそれはあくまでスパイス程度で、大筋は純粋なまでの学園恋愛モノになっているように感じられます。日常的(悪い言い方をすると平凡)なエピソードでキャラ同士の関係を描いていくという意図はあるように思います。最終的には「陸×小百合」に行くのかどうかというところだとは思いますが、そこに至る過程のエピソードとして延々と小話の積み重ねで進めていくという、目標のシンプルさと緩やかな確実さがあると感じます。

こういう作品は他にできないのか?

これをできたのはコナミの『ときめきメモリアル』だからじゃないかという気はどうしてもしてしまいます。10年ぐらい前からノベルゲームがスタンダードになった背景には、『ときメモ』との差別化としての大作主義化という流れがあったようにも思いますし、そもそも『ときメモ』がゲームとして完成されていたのでそれ以上の差別化を図ろうとするとキャラやストーリーを練るしかなく、そこに「萌え」という標準化の流れやセカイ系ブームが押し寄せてきてしまっています。あるいは奇をてらったキャラばかりになってしまったりとか。
それらにまとめて抗おうとすると、「コナミ本家だからこそできる原点回帰」としてのアニメ『ときめきメモリアル Only Love』になるのかもしれません。個人的に感じる『ときめきメモリアル Only Love』の面白さは10数年前に『ときメモ』をやって感じた気持ちに通じるものがあるからでしょうし*1、それはある種の原点回帰を感じると同時に、今のアニメに物足りないと思うところに入り込んでくる懐古趣味なんでしょう。

*1:ゲーム版はたぶんセガサターン版が最初で最後だったはず。それ以前にラジオドラマとかも聞いてたけど。間違いなく青春の1ページだったんだろうなぁ