世界はツンデレでできている

「世界は密室でできている」は舞城王太郎か。

2006年度の上半期を振り返ってみると、何となくこんな一言を思い出してしまいました。まあ今年に限らず、去年辺りも感じていた思いではあるんですが、この上半期に至ってやっと市民権を得てしまったというか、だまし取ったというか。昨年末ぐらいだったと思いますが、経済評論家の森永卓郎メイド喫茶ブームに関連して「来年はツンデレ喫茶が来る」とか言ってたのも良い思い出です。
ツンデレの定義に関する論考があるブログ界隈で話題になったというのもこの上半期の出来事。裏を返せばそういう論考が出てくる必然は、世にツンデレが叛乱したために湧き起こったある種の原理主義なんじゃないかと思います。個人的には世にはびこる広義での「ようはツンとデレがあればいいんだろ」的なツンデレよりも、狭義での正しい意味としてのツンデレ*1を支持しますけど。

今期のアニメの中で、広い意味での恋愛モノ、もしくはラノベかエロゲが原作のアニメを見てみると、ヒロインがもれなくツンデレなんじゃないかと錯覚してしまいます。『NANA』はナナの方がツンデレだし(ハチは単なるデレ、というかツンになれない)、『僕等がいた』も微妙にツンデレに見えてきちゃうし、『ゼロの使い魔』のルイズは最強のツンデレ声優釘宮理恵なので言わずもがな。でもやっぱり『ケロロ軍曹』のギロロ伍長が一番ツンデレだなぁ、桃華もある意味ツンデレだけど。そうしたら池澤春菜つながりで『ガイキング』のプロイストもツンデレに見えてきた*2
例を挙げるとキリが無いので割愛するけど、世のヒロインはおしなべてツンデレ的要素を持ち合わせているもんなのではないかという気さえしてしまいます。というよりも今まで「乙女の恥じらい」みたいな感じで表現されていたものが、このツンデレブームの中で全てツンデレという言葉に集約できてしまうんじゃないかという、消費者側(というか私?)の事情なのかもしれません*3

その割には「ヒロイン全員ツンデレ」を謳っていた『つよきす』が何とも中途半端なツンデレだったというのもまた印象的。夢オチならぬ芝居オチだったというストーリー上の問題が大きかった感は否めませんが、対象であるはずのレオの存在感が極めて薄かったというのが最大の敗因でしょうか。ツンデレは基本的に恋愛関係の中で生じる概念であり、恋愛対象がいなければ成立しえないというのを、奇しくもアニメ版『つよきす』が明確な事実として認識させてくれたような気がします。

何はともあれ、ツンデレ研究が進んだ今期を経て、僕等の心をわしづかみにしてくれるよりよいツンデレ作品が出てくると良いですね。

*1:なつみかんさんを参照

*2:父親たるダリウス大帝に対してね。あの父親殺しはツンデレの極地だと思う

*3:制作者側の下心もあるだろうけど