声優が劇中歌を歌う意義

以前『ガンダムSEED』(『Destiny』でもあったけど、最初は『無印SEED』のはず)で、ラクス・クラインのライヴシーンがそれなりに重要な局面として存在したわけですが、当時「あぁ、何で田中理恵が歌うかなぁ」という感想を持っていました。今もその感想はあまり変わらないのですが、何故そう思うのかがよくわからないままでした。
ところが最近、平野綾に関連するふたつの劇中歌を聞いてその謎が少しだけ解けました。ひとつは『涼宮ハルヒの憂鬱』の12話「ライブアライブ」における学祭ライヴシーン、もうひとつは『NANA』の18話におけるトラネスのライヴシーンです。

前者はネット界隈各所でも絶賛を浴び、放送直後に劇中歌をシングルリリースしてヒットに持ち込んだというアレです。後者では役柄としてのレイラは平野綾が演じていましたが、歌の部分に関しては「OLIVIA inspi' REIRA (TRAPNEST)」名義でOLIVIAが歌っています。
ハルヒ』のあの平野綾の歌唱力を聞いた後になるので、レイラの歌パートも平野綾が歌っても良かったんじゃないかと思えるんですが、『NANA』のスタッフはそれを避けました。最大の理由は平野綾自身がランティスからデビューしていることと、『NANA』のバックにいるレコード会社がバップだったりエイベックスだったりするという大人の事情なんじゃないかと邪推ができてしまいます。*1
そんな事情はさておき、この選択は正解だったんじゃないかと思えるわけです。

ハルヒ』の場合はハルヒ自身がライヴを経て、今までと違う自分を見つめるというストーリー上の重要な意味があります。それを演出するためにはハルヒ自身が歌を歌わないとそこまでのストーリーとライヴシーン後のハルヒが、肝心のライヴシーンによって分断されてしまいます。つまり「そこまで存在していたハルヒ」と「ライヴで歌っているハルヒ」と「ライヴ後のハルヒ」が一直線の軸に乗っている必要があるわけです。
一方、『NANA』の場合はトラネスがプロのミュージシャンであるというのが大きいですが、レイラのバックステージでの振る舞いなんかを見てもわかるとおり、ライヴシーンとそれ以外のシーンは明確に分離されている必要があります。むしろステージ上のレイラとそれ以外のレイラは全くの別人であるくらいがちょうど良いとさえ言えます。その差を明確に演出するために「歌キャスト」として別の人を立てる必要があったのではないかと思います。*2
そのような観点から『ハルヒ』では平野綾が歌わなければならなかったし、『NANA』では平野綾が歌ってはいけないというわけです。

最初の『ガンダムSEED』の話に戻すと、歌姫としてのラクスと指導者としてのラクスはある程度分離されていても良かったんじゃないかなと思えるというのが、前述の感想に繋がるのではないかということです。歌っているラクスもそれ以外のラクスも「政治的カリスマ(もしくは象徴?)」としての側面を色濃く持っているので、その描写が分離されると違和感を感じる可能性もあるのかなという気はしますが、政治の道具的に扱われているラクスと自発的に振る舞うラクスを分けるというのもアリだったのではないかと思ってしまえるわけです。まあ『Destiny』で偽ラクスが出てきたことを考えると、さらにそれとの声による微妙な描き分けをどうするのかという問題は生じる可能性もあるとは思いますが。
逆の視点では、未見なので深入りは避けますが、『マクロス』におけるリン・ミンメイ飯島真理の扱いも同じ問題かなと考えられます。各所での飯島真理の発言をつまみ読むと、実は乗り気じゃなかったと感じられるフシがあるので、例えば仮に歌と役を分けていたらどうなっていたんだろうという想像はしたくなってしまいます。
また同様の理屈で実写映画『NANA』における中島美嘉伊藤由奈のポジションというのも興味深いところです。こっちも未見なので深入りはしませんが、実写映画ということもあって最初から歌える人をキャスティングしたというのは想像に難くありません。ただ周囲から中島美嘉の演技に対する指摘を聞いちゃってたりするので、それってどうなのかなと思ってしまったりもします。*3

アニメに限った話でいうと、特にストーリー上意味のある劇中歌は声優本人が歌うことが多いように思います。アイドル声優に対する需要を考えると当然とも言えますし、前述の『ハルヒ』や少し遡ると『練馬大根ブラザーズ』だったり、もっと遡ると『サクラ大戦』シリーズのように良くやったと思える例もたくさんあります。声優の基礎条件として歌唱力は必須ではないとは思っていますが、このエントリーを書いていると必要条件ではないにしろ十分条件なのかなと思えてしまいます。
ただ逆に劇中歌を声優が歌うことは必須ではないというのもちょっと考えてみてもいいのかなとも思います。レコード会社の力学とかそういう大人の事情によってしまう要素の強いところだとは思いますが、そういう力関係を抜きにして作品演出としての最善を選んで欲しいなぁと思います。

同様の議論として声優が歌う(もしくはそうじゃない)キャラソン・主題歌・挿入歌っていう問題もありますが、それはまた改めて。

*1:朴璐美との歌唱力のバランスもあるんじゃないかとも思える。決してヘタではないんだけど、「ナナの歌」というパフォーマンスには荷が重い気が

*2:そういう意味ではナナの方は前述のハルヒに近い部分はあるけど

*3:それなりに賞を取ってるので杞憂なのかもしれませんが。ただちゃんとシリーズでやってるアニメが面白いので、2時間に圧縮された映画を見る気はあんまり無いですが