電車男 第5話まで

GONZOが本気になっているであろうDAICONオマージュなOPアニメに涙が出てみたり、JR秋葉原駅総武線プラットフォームで撮影したEDに感動してみたり、エンドロールの協力各社にニヤリとしてみたりという感想はあるんですよ。何の違和感もなくエロゲーのポスターやパッケージが出てきたり、各2ちゃんねらーの使ってるパソコンが多種多様だったり(普通のドラマって特定の1社のPCが使われることが多い。星野金属なんかは妙に気合い入ってるし)、なんかそんなスタッフの枝葉の努力を非常に感じる作品だと思います。
Web上の掲示板に関する描写に疑問を感じるところはあるんですが(掲示板というよりはチャットとかMLに近い見え方をしてしまう。かといって実況板みたいには見えないし)、そこは映像メディアの限界ということでさらっと流してしまった方が良いのだろうな。
ただいかんせん「差別ドラマ」なんじゃないかということの方が直感的な感想として湧いてきてしまいました。「パブリックイメージとしてのオタクの姿」というのがまさにああいう感じなのかなというのは理解できるんですが、その変な生々しさがかえって痛い。ある程度電車男のダメっぷりを強調しておいて、後のサクセスストーリーに繋げていくという意図が垣間見えるからなおさらそう感じるのかもしれません。事実、回を追う毎に「人間らしさ」は増してきてるように見えるし、おそらく予備知識として結末を知っているからある程度の安心ができてしまうのかもしれませんが、そうじゃなかったらそうとうヤバイ描写が満載だったと思います。初回のサトエリとすれ違うシーンとか白石美帆にビンタされるシーンなんかが極みかな。「オタク=ダメ人間」と思わせかねない。でも電車男の「キモイ描写」に、例えば報道番組で出てくるようなオタクを奇異の目で見るような視点が無くて、むしろ愛くるしさを醸し出そうとしてるんじゃないかと思えてしまうところは評価すべきなのかもしれません。
ドラマの意図が「こそばゆくてバカ正直なラヴストーリー」というところにあるだろうから、いいのかなぁ。ここ数回の「一般に知られている話ではない=フィクションの部分」の展開もわかりやすく納得できてしまうし。ただそれはそれで美談になりすぎてしまってるようなきらいがないわけでもない。まあそう言ってしまうと「電車男は都市伝説とか壮大な妄想だったんじゃないか」という論争に行ってしまいそうなので、結局どっちでもいいのかもしれんが。とはいえエンドロールで「実話を元にしたフィクションです」と断ってる辺りがまた気になるな。

裏を返せば元々は「毒男板」という閉鎖された環境で語り継がれていた物語なんだから、そこではある程度の「現実として隠蔽されていた部分」があるわけです。テレビドラマという特性上それだけでは成り立たないので、ストーリーとして構成するとこういう描き方になるというのは必然なんでしょう。
電車男におけるオタク描写」についてはまた今度考えよう。何となくだけど劇団ひとりに感動してたりはするが。

というわけで、次回はコミケに突撃か。「何も知らないOL」があの戦いに馳せ参じようものなら、電車男の真実の姿に驚愕する前に、人の多さと暑さで死ぬんじゃないかと思うんだが。