劇場版『AIR』

観てきました。『ワンピース』か『ローレライ』かという意見もあったけど、『AIR』は油断すると公開が終わってしまうような気もしたので。
面白かったというのが率直なところではあるけど、「鍵っ子」にとっての面白味には欠けたかな。でも捉えようによっては正しい『AIR』の姿だったようにも思います。
ネタバレギリギリのようにも思うけど、この映画のストーリーの構成としては「Dream編の観鈴ルート」「Summer編」「Air編」を巧みに織り交ぜながらできてるわけです。美凪や佳乃やみちるの存在は華麗に切り捨てて、観鈴の話だけに注力しないとこのストーリーはありえないわけで、極めて真っ当な判断だったと思います。それからもうひとつ切り捨てたのが萌え要素。ゲームをしてた時の感覚としてはもっと無意味に萌える要素があったように思ったけど、映画では驚くほど萌えなかった。端的には「にはは」や「がぉ」が控えめだったとか、キャラデザの問題とかそういうところが大きいのかな。もっと言えば「国崎最高」みたいなお笑い要素もかなり削られていたかな。
で、結果何が残ったのかというと生々しいくらいに感じられる物語性。さらに結果論で言えばその物語性の生々しさに出崎演出がこれでもかというくらいマッチして見えてしまいました。
ひとつ、物語の解釈という点で言えばゲームの方では特に「Air編」で「家族」というテーマについてフォーカスされていたのに対し、映画の中ではどちらかというと「ラブストーリー」として作られていたというのがなんか印象的(あ、ゲームでは美凪や佳乃の話があるから余計に「家族」が強調されるのか)。そう考えるといろんな割り切りが存在する中で完成したこの映画は、良くも悪くも「出崎作品」になってしまっているんじゃないかなというのが結論です。
「世間の評判」についてちょっと探し回ってる余裕がないので、心優しい人がいたらポインタだけでも教えていただけると嬉しいんですが、どうやら聞きかじったところによると原作派には評判が悪いらしい。つまりはこの映画の中で「割り切られた部分」っていうのが原作派にとっての琴線に触れるポイントだったのではないかな。その多くは「萌え要素」とも言えてしまうのかもしれないけど、個人的にはこの作品は萌え云々で語られるよりはそのストーリーに対してもっと評価があってもいいんじゃないかと思っていたので、これを気に『AIR』という作品が再評価されるといいなと思いますが、原作派の否定意見が目立ってしまうと難しいんだろうな。
ちなみにゲームの『AIR』を知らないで、かつ出崎演出に抵抗感のない人にはお勧めです。むしろうぶな女の子とかに観て欲しいね。

音楽に関しては元々のゲームのサントラの良さによってしまうところもいいけど、一応ポイントは高かったかな。ただゲームほどあまり印象に残らないのは、出崎演出が濃すぎるからかもしれん。