『CLANNAD 〜AFTER STORY〜』の最終回を見て「人生」とは「父親」なのかと思った

ゲームは結局やってないので*1、純粋に「これが『人生』とまで言われる作品かぁ」と思いながら、多分に漏れず18話で感動してみたりもしました。
最終話だったりラストシーンに対するもやもや感があるのは事実ですが、結果として「ラヴストーリー」ではなく「SF」とか「ファンタジー」だったという気でいると、アリのような気がしてきます。アニメで言うと同じくKey作品である『Kanon』とか『AIR』でも似たようなことを思った記憶はあるんだけど、「ゲームだからこそできるストーリー的なギミック」があってこそ成り立つ作品であり、多少の無理やり感がありながらもよく頑張ってアニメ化したと言ってもいいんじゃないかなぁと思います。

18話をラストにして19話を後日談的に持ってくるか、あるいは19話をラストにして20話を後日談的に持ってくるっていうのもアリだったのかと思ってもいます。「CLANNADは人生」っていうのを強く感じたのもこの辺り。21話と22話は原作やってないなりに感じるだけだけど、原作に対する忠実さなのかなと思います。

で、結局の所『CLANNAD』における「人生」ってなんだったのかと思いを馳せると、それは「父性」だったんじゃないかと思います。変にこういうことを言い出すと社会学とか文学的なアプローチになりそうだけど、『CLANNAD』だからいいや。それこそ「父性の喪失」とか「父性の復権」とか言うと社会学とか文学的な命題だとは思うし。
最近のアニメとかエロゲーなんかで「父親」の存在って意図的に無視されてるような気はしてます。「父親」が重要な意味を持つアニメって『エヴァ*2以降あまり思い当たらないし*3、ギャルゲーやエロゲーラノベなんかでも「父親が単身赴任」とかがある種のフォーマットとして成立してしまってるような気さえします。物理的に母親が登場することはあっても父親が意識される作品って*4実は少ないんじゃないかなと思うわけです*5。80年代アニメの方がよっぽど父親キャラがいろいろいたんじゃないかな。
そんなオタク界隈の作品群で「父親不在感」が当たり前になりつつある中で、恋から始まって子供が生まれて父親になっていく幸せと苦悩を描いたからこそ*6、問題とかテーマとしての「父親」に向かい合っていたからこそ「人生」と言わしめたのではないかと思います。結果的に「正解」も「ハッピーエンド」も無いから「人生」でいいんじゃないかな。
だからこそ22話のオチとか善し悪しについては悩ましいところだらけだけど、18話が白眉と思えてしまうのかもしれません。

*1:嘘、やりかけたけどやりきれてない

*2:エヴァ』における父親論はかなり変化球だけどね…。

*3:あ、『クレヨンしんちゃん』を忘れちゃいけないか

*4:最近では『とらドラ!』で大河の父親が重要な役割を持ってたけど、あれは「関係の薄さ」にこそ意義があるかなと。

*5:そういう意味では『あずまんが大王』における「ちよ父」みたいな抽象化と、続く『よつばと』の「とーちゃん」というのは面白いと思う。

*6:並行して朋也と父親の関係の話もあるし