ファン心理としての「ビッグメジャー」化をどう望み受け取るべきか

何気に反応をいただいてしまったので続きというか補足を。

先に私の立場だけ明確にしておくと、声優っていうのは本来リトルメジャーであれば十分じゃないかと思っています。決してビッグメジャーを目指す必要はないんじゃないかなと。故に他の芸能人と同様の扱いを受けるような必要ないと思います。というかこの十数年でリトルマイナーからリトルメジャーにステップアップしたということだけでも偉大な革新だったんじゃないかな。10年くらい前が第三次声優ブームとか言われたけど、この5年くらいはある意味「高位安定」にあるっていうのは凄いことだと思います。
ところがファンサイト的なものだったり、あと2ちゃんねるなんかの一部の書き込みを見てみると、「俺が好きな○○がもっとメジャーにならないのはおかしい!」みたいな言い回しを見かけることがあって、ひとつの意見として正しいんだろうなと思いつつ違和感を感じます。対象は声優もそうだし、アニソン系歌手、特にKOTOKOALI PROJECTに対して見かけるでしょうか。そんな世論が少なからず存在してるんじゃないかというのが、前回のエントリーの端緒です。

こういうことで悲観的になれるっていうのは、ある種中二病的なのかなと思います。むしろ実際にそういうことを書き込んでるのは、中高生の声優ファンなんじゃないかという疑念がずっと拭えません*1
「声優はもっとビックメジャーになってもおかしくない」と強く思う層は、比較的若いファンなんじゃないかという気がしてなりません。故にトラックバックでご指摘いただいた「声優ウォッチャーたちに欠けているのは、声優ファンとしての自意識だと思うわけです。」というのも納得できる部分があります。変に自意識過剰な反面、自意識が欠けている部分があるというのが正確かな。主観はあるけど、客観性がちょっと足りないというか。
もう何年も声優系のイベントに行っていないので*2、最近の声優ファンっていうのがどういう年齢層に支えられているのかはよくわかりません。でも何となくの実感と経験則から、比較的若い層によって支えられているんだろうなという想像はしています。*3

そういうファンの中の「若さ故の過ち」じゃないけど、無駄に声高に「もっとメジャーな扱いを受けてもいいんじゃね?」みたいに叫ぶ声があるように聞こえてしまうのですよ。「こんな良いものが世間であまり知られていないなんて」と思いがちっていうのは、まさに中二病的かもしれませんが。
逆に「声優の芝居なり歌なりをちゃんと評価判断する土壌ができていない」っていう指摘もたぶん事実で、今年になってやっと業界団体が声優個人を表彰しようというのが出てきたくらいですし、マンガ批評やアニメ批評とかに比べれば声優批評って成熟したジャンルとは言えないと思います。それどころかジャンルにすらなってないというか。

そんな中でも純粋な売上規模でアルバムが10万枚超えるっていうのは、少し中途半端な印象も受けます。すでにリトルメジャーの域にいる数字ではないというかね。でも個人的には「10万枚売れたアーティストの扱いを受けてない」ということより、「なんで間違えて10万枚も売れちゃうかな」という思いの方が強いです。
そういった事実に対して客観的な評価をする/受ける土壌がないっていうのが、この疑念の今のところの終着点なのかもしれません。

*1:具体例として正しいのかどうか怪しいけど、mixiALI PROJECT関連のコミュって、著しく年齢層が低い気がするのよね。乱立しすぎだし

*2:何度か書いてるけど、丹下桜のラストライヴが最後かな。前後して飯塚雅弓のライヴとかサクラ大戦歌謡ショウとかも行ってたけど

*3:そういう層に比べれば自意識を持ってるつもりではいるけど、単なるおっさん化が進んだだけという気がしないでもない